子供の頃の切ない思い出チキンライスのお話

私が小学校低学年のころの話です。
我が家には(おそらくみんなの家にも)ケチャップというものがなく、当然名前も知らず、見たことも食べたこともありませんでした。

そんな田舎の村に三重県の大都会から私のおじさんにお嫁さんが嫁いできました。
私はよくその家に遊びに行っていたのですが、ある日「法子ちゃん昼ごはん食べてきた?」と聞かれ、正直に「食べた」と答えてしまったのです。

その後、都会のおばちゃんが作った赤いごはん「チキンライス」の色と香りを私は今も忘れていません。
今さら食べたいと言える勇気も度胸もなく、私は見ないふりをして時間をやり過ごしました。

それからどのくらいあとでしょうか。
母に熊本市内の太陽デパートに連れて行かれた際、レストランの店頭で料理が並んだショーケースの中に赤い液体が乗っている薄焼きの玉子が巻かれたものが目に留まりました。

「オムライス」と書かれていました。
「何がよかかい?」と聞かれ、これはいつかの赤いごはんに混ぜてあったものに違いないとすかさず「オムライス!!」と言っていました。

この時、薄焼き玉子の中から出てきた赤いごはんに感動し、私はしばらくオムライスに手が出ませんでした。「はよ、食わんかい!」と言われて食べたオムライスは涙が出るほど、美味しいものでした。

昭和30年代、貧しく物がない時代の思い出ですが、情報も物もすぐに手に入る現代では体験できない切なくも嬉しい思い出です。

本日もお読みいただいてありがとうございました。

感謝