2011年東日本大震災の2年後
社長とふたり、
福島県浪江町に降りた
テレビでだけ見ていたあの場所に
立ったときの
表現できない感情はハッキリと覚えている
そして今年4月
当時生まれたばかりの長男(13歳)と
次男を連れて
浪江町に行ってきました
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右の方が小松さんです
小松さんに会うのは
久しぶりなのに
故郷に帰ってきたような
懐かしい気持ちの中
請戸を案内してくれました
伝承館という大きな建物では
津波と原発について
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原子力災害伝承館の様子
請戸小学校では
あのときの被害がそのまま
残されていました
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家はなくなり
所々に、企業やビジネスホテルがあり
時々通るダンプに
13年経った今もなお
復興途中なのかと思うと
なんとも、なんとも
複雑な気持ちになりました
「津波到達地点」を見上げると
その恐ろしさが襲いかかります
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請戸小学校から避難した大平山を見ると
その距離に驚愕します
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小学生がそこまで歩いて行き
さらに、その山を越えたとのこと
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山越えを率先したのは
なんと、少年野球団の子だったと
書きたいことは山のようにあるけれど
また。
帰熊してからも
息子たちと話をしました
色々感じてくれたようです
野球ができていること
家族が一緒にいれること
すべてが
当たり前でないことに感謝しながら
日々笑顔で過ごそうねと
とは言ってもまだまだ子ども
すぐ喧嘩したり
駄々こねたりするけど
どこかの場面でハッとなってくれたらいいな
小松さん、はるみさん、
ありがとうございました^^
逢えて嬉しかったです
今の請戸を見れてよかったです
また必ず行きます
今日も素敵な1日を.. ありがとう。