10回目の復興支援に行って来ました

10回目の復興支援に行って来ました

10月17日(土)10回目になる、福島県仮設住宅へのみかんをお届けしました。


みかんを配る一ノ瀬たけしさん

今回は”一ノ瀬たけし”さんご家族と一緒の訪問でした。
たけしさんのお父さんもしきりに感動して、又、次回もご一緒させて下さいと言って頂きました。
現地でも数あるアーティストの中で、私が始めてみたアンコールの声をかけてもらい、涙ながらに、とても喜んで頂きました。
今回は、社員の簑田・齋藤も同行し浪江町の見学等もさせてもらいました。
その中の齋藤さんの感想をどうぞ読んで下さい。

福島県第八仮設住宅を訪問して
齋藤由香

土台だけ残る住宅地と残された家

土台だけ残された家に、瓦を重ねて作った墓に花が添えられていた。浪江町のその光景を私はこれからも忘れることはないでしょう。
昨日まで当然のように存在した家や町、人が、あっという間に消え去る恐怖と、かつてここにいた人たちの恐怖や悲しみを思うと足が震え、胸がいっぱいになって、涙があふれとまりませんでした。
2011年3月14日に配られるはずだった新聞が、その日のまま4年間山積みされて、今も時を刻んでいる新聞店をのぞき見しました。
帰らない持ち主を待つ自転車が、当時のまま何十台と放置されたままの浪江駅など、翌日もその光景が頭から離れず、復興祭の間も、なんと声をかけたらいいのだろうか?と、声をかけられず、表情とは裏腹に正直重い気持ちがありました。


震災当日からそのままの新聞

駅に放置された自転車

仮設住宅はマッチ箱のように本当に狭く、やっと一人が入れるほどの浴室には、ひざを抱えてやっと入れるほどの浴槽があり、何年も住んでいる方たちのストレスやご苦労を思うと、さらに気持ちは重くなる一方でした。
私たちのあって当たり前は、当たり前ではなく、家族がいること、仲間がいること、仕事ができること、健康でいられること、全てに感謝して生きていかなければならないことなんだと、教えてもらいました。
みかんを渡す社長や一ノ瀬さんの手を握って「ありがとう」と涙を流す被災地の方が、いつか仮設をでてからも、心無い人に心傷つけられることなく、いつも仲間や家族がいるということを忘れないで欲しいと願います。

私達の本当の役割は、みかんを届ける事ではなく、直接肌で感じた、耳で聞いた福島の皆さんの思いや叫びを、1人でも多くの人達に伝え続ける事だと、改めて気付かされた2日間でした。
小さなみかん箱を、いとおしそうにもらって帰られる方々に、又、何度もくり返し言われるありがとうございますの言葉に、こちらこそと言いたい気持ちでいっぱいでした。
続けて来てよかった、これからもずっとと、心に誓って熊本に帰りました。


これからも続けていきます


今日も読んで頂いてありがとうございました。

感謝